高松家庭裁判所 昭和48年(少ハ)1号 決定 1974年1月28日
少年 T・O(昭二九・三・一三生)
主文
本件申請を棄却する。
理由
(本件申請の理由)
本件申請の理由は、松山少年院長作成の「収容継続申請書」記載のとおりであるのでこれを引用するが、その要旨は、「少年は、現在処遇の最高段階(一級上)に達しているものの、その後も額の剃込みおよび粗暴行為などの規律違反があり、犯罪的傾向が充分矯正されていないため、昭和四九年三月一三日に二〇歳に達した後も、なお当分の間在院させて指導を加えるとともに、少年の性格、家庭の保護環境を考慮すると出院後も専門機関による指導監督を必要とするので、出院後の保護観察期間(おおむね五か月)を含めて六か月間の収容継続を申請する。」というにある。
(当裁判所の判断)
一 一件記録および調査、審判の結果によれば、以下の事実が認められる。
1 少年院収容に至る継緯
少年は、中学校卒業後店員、工員、土方人夫など次々と職場を変え、中学時代虞犯で二回警察補導を受けたほか、昭和四五年九月二一日住居侵入、器物損壊保護事件により当庁において審判不開始決定を受けたことがあり、昭和四七年八月A(当時二一年)らと上阪し、土建業の飯場で働いているうち、同年九月右Aとともに殺人未遂を犯した。右犯行は、同郷の同僚に対する仲間意識から右Aに追従したものであり、少年には積極的な犯意および行為はなかつたが、後記の少年の資質的負因、保護環境不全が重視されて同年一〇月二〇日当裁判所により中等小年院送致決定を受け、同月二六日松山少年院に収容されるに至つたものである。
2 収容時における少年の資質、保護環境の問題点
少年は、魯鈍級精神薄弱であり、被影響的で自主性に欠け、対人関係で不信感、被害感、不満感などを抱きやすく、すぐかつとなつて暴力を振う傾向があり、また文身、額の剃込みなど不良親和、顕示傾向もみられた。
少年は、○○に生まれ、家族としては両親のほか高齢の祖父母、姉および妹各一人がいるが、父親は昭和三五年ごろからリューマチのため手足が不自由で稼働できず、母親も病弱と左眼失明のため充分働けず、生活は苦しく(生活保護を受けている。)、両親ともに教育的関心に乏しく、少年は放任されて育つており、家庭の保護能力は期待できなかつた。
3 少年院における処遇経過
少年は、松山少年院に入院後、考査期間、予科を経て、同年一二月九日農芸科に編入され、昭和四八年二月一日二級上に進級したが、同月七日額の剃込みにより謹慎三日間の処分を受け、通常より一月遅れて同年六月一日一級下に進級、同年七月一日には皆勤賞を受けたが、一方同年八月二九日暴行、いやがらせ、剃込みの規律違反により謹慎一五日間、翌九月二六日にも軽微な規律違反により教務課長注意の各処分を受けており、同年一〇月一日一級上に仮進級となり、翌一一月一日、一〇月一日にさかのぼつて一級上に進級したものとみなされたが、その後一一月一四日喧嘩により謹慎三日間、さらに同月二八日剃込みにより謹慎五日間の各処分を受けた。
少年院は、一一月六日仮退院申請をなしたが、右反則事故のため翌一二月四日付をもつて右申請を取下げるとともにさらに本件収容継続申請に及び、現在に至つているものである。
なお、少年は、寮内生活においては右のような規律違反が多かつたが、実科においては昭和四八年二月を除いては常に平均以上の成績であり(規律違反の多かつた同年八月においても学実科の態度、学実科の成績の各項目ともに五点満点のところ四点を得ている。)農芸科の作業には真面目で地道に取り組んでいるとの評価を受けている。さらに現在においては、これまでの規律違反について深く反省しており、一二月以降全く反則事故はなく同月の成績は、全項目において平均以上の得点を得て合計二四点(三〇点満点)と好成績(六月に皆勤賞を受けて増点二点を得て二五点となつたのに次ぐ成績である。)で、本年一月も良好な成績を維持できる見込であり、また現在寮の世話係をし、実科でも主導的立場にある。
4 帰住後の保護環境
少年は、出院後は○○の両親のもとに帰り、真面目に働いて家計を助けたいと述べており、就職先も遠縁にあたる者の世話で確保できる見込であり、少年の両親は、生活が苦しく一家の働き手として必要なこともあつて少年の帰宅の一日も早からんことを願つている。
少年の両親は、前述のような身体的条件および経済的理由のため面会には一回しか行つていないが、少年からは月平均一回手紙が来てその都度返事を出しており、親子関係は親密良好でなんら葛藤はみられず、受入体勢自体は一応整つている。
二 収容継続の必要性
以上みてきたところによれば、少年は、実科の成績はともかくとして寮内生活においては散発的に規律違反を繰り返しており、とくに一級上に進級直後に二度にわたつて反則事故のあつたことは、少年の持つ資質的負因の大きなことを窺わせ、送致時に指摘されていた対人関係不適応からくる粗暴癖および不良顕示性などの問題傾向は、いまだ充分に矯正されていないと一応いうことができる。しかしながら、前記規律違反の内容について子細に検討してみると、いずれもそれほど悪質なものとはいえず、これをとらえて少年の犯罪的傾向が満二〇歳をこえてもなお少年院に在院せしめて矯正教育を行うことを必要とするほどのものと速断することには疑問がある。すなわち、度重なる額の剃込みについては、少年は、それが規律違反であることを承知のうえでなしたものであり、少年には収容前から剃込み文身の経験があり、不良顕示性のあらわれとみることもできるが、少年が右違反を重ねた理由としては、最初は昭和四八年二月四日少年院から供与された剃刀を使つて額の産毛を剃つている際手がすべつてはえぎわを剃つてしまい、左右が不均衡になつたので、これをそろえようとしてつい剃り込んでしまつたもので、さらにその後毛がのびてきて額のはえぎわが不ぞろいとなり、段がついて格好が悪いため、指で毛を抜いてそろえたもので、とくに一一月中の違反は、謹慎および休養(風邪)のためそれぞれ単独室にいた際に退屈なこともあつて指で毛を抜いたというのであつて、当初剃刀を使つて剃り込んだ点はやや問題であるが、これは入院後間もないころのことでもあり、それほど重視する必要はない。(なお、同年九月の軽微な規律違反というのは、九月一五日少年が額の毛を抜いたと他の院生から申告があつたが、少年はこれを否認したため、事実の確認ができないので、そのような疑われるようなことはするなという趣旨で課長注意としたというものであつて、事実の確定ができない以上、本件審理においては考慮する必要はない。)さらに他院生に対する暴行、いやがらせなどについてみるに、同年八月中の一連の反則事故は、八月二五日夕刻日ごろから気があわなかつた同寮の○田○弘(当時一八年)と廊下で会つたとき同人が少年を馬鹿にしたような態度をとつたことに立腹して一回足蹴りにしたほか、同日これより先入浴中に同人の頭を湯につけたり、便所で足元に小便をかけるなどのいやがらせをしたもの、さらに同日夜就寝後同室の○藤○隆と一緒になつて同室の○笹○孝(当時一六年)、○内○久(当年一六年)を眠らせないようにするため帚の先で鼻をつついたりしたうえ、翌朝同人らを起すために頭を一回手拳で殴つたものであり、また日時は不明であるが、右○内に対し二、三回足蹴りしたが、これについて○内は二人は気が合い仲が良く、よくぶざけあつていたが、これも面白半分にしたものであると述べている。次に一一月の喧嘩の件は、やはり室内の世話係をしていた少年が右○笹に掃除の仕方について注意したところ、反抗的言辞をろうしたため口論となり、常日ごろから少年の注意に対して口答えしていたこともあつて憤概して一回足蹴りしたものである。これら一連の粗暴行為は、その一部はいたずら半分でさして悪意のあるものではなく、その余も確かに少年の対人関係不適応からくる粗暴癖のあらわれとみることができるが、いずれも相手の態度にも問題があり、少年を一方的に責めるのはいささか酷にすぎる。
ところで、少年院側においては、少年は昭和四八年一〇月一日最高の処遇段階である一級上に達したものの、その後規律違反があつたことはその間の教育効果が充分あがつていなかつたことによるとの認識にたつて、右規律違反により降級することはしないが、昭和四八年一二月よりあらためて一級上としての教育期間を進行させることとし、とくに出院準備教育として約二か月間養畜に従事させ、その後一五ないし二〇日間炊事係をさせ、院内独歩の機会も与えるようにして自主性を養い、社会適応性を体得させたうえで出院させることにしているが、そのためには出院時期は今後順調に経過するとして昭和四九年三月二三日になると説明している。
しかしながら、少年の在院成績は、前記のような反則事故もありすこぶる良好であるとはいえないにしても、実科の成績は良好で、少なくとも地道な勤労態度は養われているとみるべきであり、度重なる規律違反の点は、少年の性格、行動傾向がいまだ充分に矯正されていないことを示すものではあるが、そもそも、少年は魯鈍級精神薄弱であり、少年の持つ問題傾向は主として知的発育の遅滞に基くものであつて、収容による矯正教育で改善をはかるにはおのずから限界があり、少年院が計画しているようなわずかばかりの収容期間の延長によつてそうしなかつた場合に比して著しい効果があがるものとは思われない(なお、本来精薄者の処遇については、特別な指導が必要であるが、少年院においては実科の選択についてこの点を考慮し、また規律違反の都度個別指導をしたというほか特別な指導をしたという事跡はみあたらないようである。)。さりとて満二〇歳に達したときには在院一年五か月近くになり、一級上の在級期間も五か月余りに及ぶ少年をさらに長期間にわたつて在院させることが適当でないことはもちろんである。少年は、前述のとおり昭和四八年一二月以降は一回の反則事故もなく、良好な成績を保つているのであつて、このことは少年の反省と更生意欲の高まりを示すものである。また前述のとおり少年の帰住後の受入体勢自体は一応整つており、保護者としては一日も早く出院できることを願つている。
してみると、本少年については、直ちに仮退院させることは適当でないが、満二〇歳に達するまでの残された期間(少年院説明のごとく昭和四八年一二月から一級上の在級期間を考えるとしても三か月以上になる。)において最善をつくし、満齢到達時をもつて収容保護を打ち切ることとし、成人となり一家の生計を支えるべき立場におかれた少年の自覚(そのような自覚は充分できているものと認められる。)と家族およびその周辺の人々の暖かい励ましに期待して自立更生の道を歩ませるのが適切である。なお、少年は、一級上進級後規律違反があつたことにより出院時期が遅れることを予期し、これを容認する心情になつているが、できるだけ早く退院することを望まないわけはなく、予想より早く退院の見込となつたからといつて、それが処遇上好ましくない影響を与えるとは思われない。(もつとも少年の気がゆるんで生活がだらけてくるという懸念がないでもないが、この点は少年の自覚と少年院の指導により克服できる性質のものであり、いたずらに法定の期間をこえて在院させることを正当化する理由にはならないことはもちろんである。)
もつとも、期間満了による退院ということになれば、保護観察に付する余地はなく、少年の場合、その資質上の負因および引受体勢は一応整つているものの保護者の監護能力が乏しいことは否定できず、保護環境がとくに好転しているわけではないことを考慮すると、満齢到達と同時に直ちに「退院」させてしまい事後的な手当をしないのは不安がないわけではない。一般に仮退院後の保護観察の必要なことを理由として収容の継続をすることは認められており、少年の場合も確かに出院後も保護観察に付しその指導監督と補導援護を受けさせることが望ましいということがいえるであろう。すなわち、満二〇歳に到達した後は収容保護による必要はないが「仮退院」として保護観察のもとにおいて矯正をはかるべき程度の犯罪的傾向はいまだ残つており、その意味において「退院」させることは不適当であるという理由で収容継続を認めることは可能である。
しかし、一般に収容保護された少年を社会復帰させる場合には、いきなり完全な自由を与えるのではなく、段階的に拘束を解いていくのが望ましいということはできるが、現行法上は収容期間が満了した場合は「退院」させることになつており、そもそも現行の少年院の処遇体系を前提とする限りは収容開始時に満齢までの期間が一年に満たない場合はもちろん一年数か月しかない場合は、これに収容保護を加えたのち「仮退院」させて保護観察に付する余地は全くないかあつても極めて短期間に限られるわけであつて、かかる場合保護観察期間を見込んで収容継続の決定をするには、ただ単に保護観察に付するのが相当であるというだけでは充分な理由とはならない。けだし、そのようなことは収容保護を受けた者については大ていの場合いえることであり、それではほとんど例外なしに収容が継続されることとなり、法の趣旨を没却してしまうことになるからである。しかも一たん保護観察期間を考慮して収容継続の決定をした以上、その期間内において(その期間も保護観察を実効あらしめるためには必然的に相当長期間(少なくとも六か月)にならざるをえない。)いつ仮退院させるかは地方更生保護委員会(実質的には少年院長)の裁量にかかつているわけであつて、少年の地位をいたずらに不安定にするおそれがあり、いかに少年の健全育成という崇高な目的のためとはいえ、少年の人権の保障にも深甚の考慮をはらうべき裁判所としては、この点を看過するわけにはいかない。
このように考えてくると、仮退院後の保護観察の必要を理由とする収容継続を認めるには、単に保護観察に付するのが相当であるというだけでは足りず、これを必要とする特別の事情があり、かつ仮退院の時期がほば確定しており仮退院がいたずらに遅延するおそれがないことを要すると解するのが相当である。これを本件についてみるに、少年の帰住後の保護環境は以前にまして好転しているとはいえず、少年の資質的負因に加えてこれまでの頻回転職傾向にかんがみると、少年が果して両親のもとに落着くかどうか一抹の不安はあるのであるが、少年も少年院の生活を通じて家庭のありがたさを痛感しているようであり、また堅実な勤労態度も養われているので、この際は少年の自覚に期待することで足り、とくに保護観察に付することを必要とする特別の事情は認められない。また本件の場合、少年院側は収容継続が認められることを前提として仮退院時期を昭和四九年三月二三日に予定しており、仮退院がいたずらに遅延するおそれはないのであるが、当裁判所としては満齢到達後わずか一〇日間のこととはいえ出院時期を延長することは認めるべきではないと判断しているのであるから、本件においてはこの点は問題にならない。
三 以上のとおりであつて本件申請は結局理由がないことに帰し、これを棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判官 浦野信一郎)